各ブランドのASA400フィルムの個性をみる |
Fujifilm - Kodak - CineStill
See the individuality of each brand’s ASA 400 films | Fujifilm - Kodak - CineStill
われわれは今まさしく臨界点に立たされている。日本人のお家芸としてきた均一的で一定品質以上を安定的に供給するこの能力は、いまに人工知能によって取って代わられる。ではいかに、日本人あるいは人類は存在価値を高め、置き換え不可で、人工知能に貪られない存在となることができるか。
キーワードはやはり、身体性と記憶、そして創造力であるように思う。身体をもってして赴き、五感で感じる。それを全身で味わった瞬間をもって記憶に焼き付ける。そんなことを限りなくスケールダウンしたのが写真を捉えるという撮影体験だと考えている。フィルムは良い、フィルムは良いぞ。
はじめに、いかにわれわれが普段創造的でないかを指し示し、現代人が置かれている状況と悲惨さを明示する。そしてその些細な処方箋としてクリティブ脳の養育を大義の目的とする撮影体験の魅力について少しばかり綴りたいと思う。
瓦解した収斂と拡散の調和
ブルシットな日本社会
人間は相反する能力を先天的に持ち、その営みを通しその感覚を研ぎ澄ましていく。ひとつは個々に散った情報を集約させ整理する収斂的作用(収束的思考)であり、もうひとつがすでに与えられた情報を改変もしくは脱しようとする拡散的作用(拡散的思考)とである。
これはアメリカの心理学者のジョイ・ギルフォードの「Divergent and Convergent Thinking」における考え方であるが、この二つはその営みの中において教育や仕事といった環境・外的要因に大きく影響され、両者の均衡は瓦解していく。日本の学校教育はこの収斂性による知識の教育という点にのみ焦点を当てている節があり、これをグライダーと揶揄せずにはいられないだろう。
これはある種のブルシットジョブに繋がるところが大いにある。「クソどうでもいい仕事の理論」の著者であるデヴィッド・グレーバーが考えているように、決して劣悪な環境における大変な仕事を"ブルシット"と揶揄している訳ではなく(それはどちらかというとシットジョブ)、ブルシットジョブはクソほどどうでもいいクソな仕事のことであり、日本はこの"ブル"が蔓延しているに相違ない。歴史学者の磯田道史氏の謂うところの経路依存性が濃いゲノム的な働きにより、政治から教育から資本に至るまでクソで溢れかえっているのだ。
経済学者ジョン・メイナード・ケインズは「20世紀末までにテクノロジーの進歩によって週15時間労働を実現する」としているのにも関わらず、これが全くと言って実現できていない。これはブルシットジョブの置き換えをAIが置き換えていないだけであり、つまりこれは、デヴィッド・グレーバーの謂うシットな経営陣がソレに乗り出していないのである。彼らは間違いなくブルシットではなくシットであり、"ブル"なのはお国の方である。
AIはともかくもDXにすら足踏みする始末である。ただ、いち早くDXに手を出したものもいる。こういう輩を戦後活躍した三島由紀夫は一刀両断にし、そういった空っぽな日本人が増えることを非常に憂いていた。一夜にして天皇主義者が民主主義者となり、一夜にしてLBGTQや多様性論者が誕生するこの日本社会。宮台真司はコレらを近代から見たときの「日本人の圧倒的な劣等性」として彼の言葉である「クズ」を用いて表現している。
また坂口安吾もこの天皇主義から民主主義への移り変わりを表面的だけである、と喝破した。実のところは、正義であり続けようとする、すなわち無謬であり続けようとすることでポジションで常に高い位置を取り続けようとしている訳である。
処方箋としての撮影体験
クリエイティブ右脳を去勢させない
落合陽一は彼のブログやさまざまなインタビューを拝見すると分かると思うが大の写真好きであり、特にLeicaのノクチ狂である。彼は朝日新聞のウェブマガジンのインタビューにて「僕にとって写真撮影は筋トレのようなものです。研究や経営や教育だけをしていると、どうしても右脳というか、「クリエイティブ脳」が弱まります。僕にとっては「イメージと対話すること」が重要なキーで、撮影することでだんだんとイメージと対話ができるようになり、クリエイティブ脳を復活させることができるのです。」とし、撮影行為をクリエィティブ右脳のトレーニングと言い換えた。
コレはある種の収斂的作用に閉ざされている現代人(特に日本人)に、拡散的作用を魅せるものであるし、中々養うことのできない右脳の豊かさの構築であるに相違ない。
最後に題の引用としての解は、外山滋比古先生著作の「思考の整理学」である。これは思考の入門書として間違いなく、これからも多くの人に読み伝えられるだろうし、ぜひ入門編としておすすめしたい。当テクスト導入において、グライダー人間と飛行機人間とを明文化し、現代の社会が抱える問題を露呈する形で次の章へと入っていく。現代におけるといっても三十年も前に書かれたテクストだと言うから恐ろしい。
https://asana.com/ja/resources/convergent-vs-divergent
https://www.asahi.com/and/article/20190121/75439/