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ローティは学者としてのキャリアを分析 哲学の研究者としてスタートさせ,やがて哲学 の「解釈学的転回」という考え方の提示によって脚光を浴び,プラグマティズムを復活させ, リベラル・デモクラシーを再評価する政治思想 へと至ったが,90年代後半以後は現代における 政治的左派の在り方について考察した左翼論を 主なテーマとしており,注目を集めている。 言 語哲学と政治的左派といえば,N. チョムス キーによるアメリカに批判的な議論が有名であ るが,ローティの政治的立場はチョムスキーと は反対に,基本的に親アメリカ的なものであ る。 現代のアメリカにおいて政治的左派であると いうことは,アメリカを世界の特に第三世界の 貧しい国々を搾取する「帝国」として見なし, イラクやアフガニスタンその他の紛争地城への 米軍の派遣を「侵略」であると考え,大企業(マ イクロソフト,マクドナルド,コカコーラ,ナ イキ一等)による市場の支配を「資本主義的」 であるとして批判するような立場をとることが 主流である。 そのような在り方に対して,ロー ティは独自でエキセントリックとも見えるよう な左翼論を展開する。 本論文では,まずロー ティの左翼論を検討し,その発想の源流がどの ような歴史的文脈からもたらされているかを探 ることによって,ローティが現代および将来に おける「健全な」左翼の姿をどのように措いて いるかを模索する。 Iローティの政治的ステイトメント ローティの左翼論は『アメリカ未完のプロ ジェクト~20世紀アメリカにおける左翼思想』 という本に収められている。 この本の邦題は ローティ本人の意向によって,J. ハーバーマス の『近代未完のプロジェクト』を想起させるも のになっているが,原題はJ. ボールドウインの 『次は火だ』の一節からとられたAchievingOur Country(我々の国を完成させる)というもので あり,この言葉にはローティの考える左翼の立 場が明確に表されている。 右と左という概念は相対的なものであり,ど のような立場をもって政治的な右派と左派を区 別するのかということもその国ごとの政治環境 によって異なってくる(1)一般論としては,国 家や伝統を尊重し,資本主義経済に肯定的な立 場を右派,権力に批判的で改革を望み,経済的 な平等を求め資本主義経済に批判的な立場を左派と分類する場合が多い。 ローティが右派と左 派をどのように分類するのかということは以下 の記述の中から窺い知ることが出来る。 私たちの国家が政治的に活発な「右翼」と「左翼」 を持つかぎり,その議論は継続するだろう。 -「右 翼」はどんなものにも変更する必要があるとは決し て考えない-つまり国家は基本的に良い状態にあ り,過去の方がもっとずっと良かったかもしれない と「右翼」は考えるのである。 「左翼」は私たちの 国家がまだ完成されていないと主張している。 「左翼」が傍観者になり,回顧的になるかぎり,それ は左翼をやめることである[Rorty1998:14] ローティは右派と左派の区別を国家権力や自国 の歴史に対する誇りとアイデンティティに対し て肯定的であるか批判的であるかという尺度に よって決定するのではなく,自らの国がすでに 完成された(achieved)ものであり,むしろ昔 のほうが良く,現在では古き良きものが失われ つつあるので,それを守り復活させなければな らないと考えている人々を「右翼」,自らの国は 未だ改良の余地があり,完成させる(achiev ing;ために様々な改革運動を行う必要がある と考えている人々を「左翼」として分類する。 一般的な右派と左派の区別の方法と比較する と,右派が過去を志向しているのに対し,左派 が未来を志向しているという点に関しては共通 している。しかし,ローティの考え方において 独特なところは,「右翼」と同様に「左翼」も また自らの国の参加者として自国に愛着を持 ち,その歴史に誇りを持った上で,自らの国を より良く改良していくという立場であるという ことである0 つまり,ローティは「左翼」もま た「右翼」とは違った志向性を持ちながらも, 同様に愛国的になる必要があると考えているの mzm ローティが左翼論にとりかかるようになった きっかけは,現代のアメリカにおける政治的な 「左翼」の衰退である。 ローティの歴史分析によ ると,アメリカの「左翼」は19世紀-I960年境 まで伝統的に労働問題に主に取り組んできた 「改良主義左翼(ReformistLeft)」,1960年代の 10年間に学生運動による主に公民権運動と反戦 運動に取り組んだ「新左翼(NewLeft)」,1970 年代以降に実際の政治の活動から離れ,大学内 で文化の理論を研究することに専念するように なった「文化左翼(CulturalLeft)」の三種類に 分類される。 「改良主義左翼」はマルクス主義が本格的に 広まる前の19世紀から存在し,共産党的な手法 以前の現実的な手法により少しずつ労働問題を 解決し,労働者の地位を改善させていった。 こ れは一般的に「オールド・レフト(OIdLeftH と呼ばれているものと同じものと見なされる。 「改良主義左翼」が最も大きな成功を収めたの は1930年代~第二次世界大戦中における 「ニューディール(NewDeal)」の時代,そして 1960年代のJ. F.ケネディとL. ジョンソンとい う「ニューディール」を引き継ぐ二人の民主党 の大統領の時代においてであった。 「ニュー ディール」を行ったF. D. ルーズベルトやケネ ディ,ジョンソンは一般的には「左翼」とはみ なされていない。 彼らはアメリカ合衆国の大統 領であり,決して社会主義者でも共産主義者で もなく,いわゆる「リベラル」という立場に分 類される。 しかし,ローティは彼らのような 「リベラル」な大統領も「改良主義左翼」のリス トに加えている。 アメリカの政治地図においてこの「リベラ ル」という言葉の定義は複雑である。 一般的に「リベラル」と分類される民主党左派の人々は 政治的には自由主義であり,価値観の多様性の 実現を求めるが,経済的には自由経済に規制を 加える政策を支持する。 経済政策の面から見れ ば,共和党の人々のほうが自由を重んじ,規制 を嘩廃する政策を支持する。 しかし,より「ラ ディカル」な立場の人々から見れば,民主党も 共和党も資本主義経済の枠内での議論に留まっ ているため同類として見なされる。 ローティが 自らを位置づけ,発言の基盤としているのはこ のいわゆる「リベラル」という立場であろう。 ローティが分類する「新左翼」とは学生運動 を主とするアメリカのベビーブーム世代の若者 達による,より「ラディカル」な運動である。 これは,一般的に呼ばれている「ニュー・レフ ト」というものと同じと見なされる。 彼らはマ ルクス主義的なイデオロギーとユートピア的な 理想を掲げるが,結局のところ革命を起すこと は出来ず,やがて「政治の季節」は終わりを迎 える。ローティによれば「新左翼」は公民権連 動を成功させ,強烈な反戦運動によってベトナ ム戦争を終わらせるきっかけをつくったという 功績を残したが,反面においてアメリカの奴隷 制,先住民虐殺,戦争介入等の血塗られた歴史 に注目し,アメリカを悪の国をみなすような反 権力的思考という形の負の遺産を遺した。 最終的に政治的な勝利を得ることができな かった「新左翼」の思考の枠組みを受け継ぎ, 学者となった人々は,同様にマルクス主義的な 学生運動が盛んであったフランスの哲学などの いわゆる「大陸哲学」の研究に没頭し,左翼的 な思想を理論化するようになった。 彼らはその 終末論的な思想から,何らかのカタストロ フィーによって世界が一変するという考え方を 受け継いでいるが,60年代の挫折の経験から完 全に絶望感を抱いている。このような人々を ローティは「文化左翼」と分類している。 ロー ティによれば,「文化左翼」は女性や同性愛者, マイノリティー等の抑圧を告発し,その地位を 向上させるという功績を達成したが,「新左翼」 から引き継いだ「反アメリカ」的な意識によっ て実際的な政治から遠ざかってしまった。 とい うのも,アメリカの二大政党制においては,ラ ディカルな立場の人々によって議会の多数を占 める事や大統領を出すことは不可能だし,たと え最も立場が近いような民主党左派の「リベラ ル」な人々といえども彼らの考えるようなラ ディカルな立場には同調しないうえに,そのよ うな「リベラル」な人々もある程度右派の意見 に妥協しなければならないという圧倒的な「現 実」の壁が存在するために,議会の選挙や大統 領選挙に投票することは彼らにとって無意味な 行為に思えるからである。 「文化左翼」が政治を哲学的に理論化してい る間に労働運動は衰退し,グローバル化も伴っ て貧困の問題はより複雑なものになった,アメ リカの大企業は労働力を安く確保できる東南ア ジアや中国,中南米に生産の拠点を移したため に,アメリカ国内の工場労働者の立場が弱く なってしまったのである。 このような現状を打 開し,再び現実的な政治勢力としての「左翼」 を復活させるために,ローティは①「文化左翼」 はその理論的な哲学習慣を一時停止し,②アメ リカ人であることを誇りに思うような愛国的 「左翼」になるべきであるということを提案し ている[Rorty1998:98-99]tでは,一体どのよ うにしてローティはこのような政治的立場に立 つようになったのだろうか?